.ペットロス症候群とは?

ペットロスとは、愛するコンパニオンアニマル(伴侶動物)との別れの悲しみを表す言葉として使われておりますが、まだ多くの人に認知されている言葉ではなく、ペットと暮らしている人たちが知っているくらいで、一般的に使われてきてはいるものの、未だきちんと理解はされておりません。
 
愛する者を喪うという別れの体験(喪失体験)という意味で、決して精神的病気を意味するのではなく、体験を意味する言葉ですからね。
私は人のお坊さんでもあり、動物たちのお坊さんでもありますから知っておりますが、人を亡くしても、ペットを亡くしても、至る気持ちや通る気持ちはみんな一緒です。
だって、同じ人間ですから。
対象が人なら正常で、対象がペットとなると異常ということはありません。
愛する者を喪った人の誰しもが通る心の道です。
 
 
近年ペットを取り巻く環境は向上し、使役動物からペット、ペットから伴侶動物とまで言われるように家族の一員としての地位を確立して、「うちの家族」「うちの子」として、種族の違いを乗り越えて、より深い絆で結ばれる関係になってきております。
彼らは社会状況の変化のもとで、共に暮らす者として迎えられ、共に寝起きをして、共に生き、共に楽しみ、いつも笑顔で迎えてくれ、寂しい時や悲しい時などは黙って側に寄り添ってくれ、支えてくれたり、助けてくれたりして、私たちの心を癒してくれる伴侶(パートナー)となってきております。
 
獣医学が進歩して、より長く生きることができるようになったとは言え、ペットの寿命は人間に比べると短く、飼育するに際して想像してもいないパートナーとのお別れを経験せざるをえません。
共に暮らせる時間が長くなり、それだけ愛情を注ぎ関係を深め、人間と動物という関係性を超えた絆を結んでいるだけに、亡くなった時の悲しみや辛さはさらに大きなものになってきております。
 
 
「こんなにも辛く悲しいのは私だけではないのか?」
「この悲しみがずっと続くのではないか?」
「いつまでも泣いている私は異常なのではないか?」
など、と思い込むのもみんな経験することで、共に暮らした期間が長ければ長いほど、分かち合った時が多いほど、支えてもらった関係などからも、このように感じるのは当然のことと言えます。
 
愛すべきパートナーを失った深い悲しみに対する反応は正常なことで、愛する者を喪ったのですから、当たり前のことであって、決して異常なことではありません。
 
それなのに、
「たかがペットのことで休むなんて…」
「たかがペットが死んだくらいで…」
「いつまで泣いていれば気が済むのか…」
「また飼えばいいじゃないか…」
など、と心無い一言をいう人が大勢いるのも事実です。
また、
「いつまでも泣いているとあの子が心配するよ」
「あんまり自分を責めていると成仏しないよ」
など、とあなたを思うことから言ってくれる一言が辛いこともよくあります。
 
心無い人は、動物たちと愛情を分かち合い、強い絆で結ばれたことがない人たちで、一昔前のような感覚でものを言っているにしか過ぎません。種を超えた愛情を知らないかわいそうな人たちなのです。
 
また、あなたのことを思ってくれる人たちも、あなたのことを思って言っているのであって、仏教のことを知っているわけでもありませんし、決して悪気があるわけでもありません。
悪気がないから、それが分かっているから、辛くなってしまうのですけどね。
 
このような動物たちの死に対する一般社会の受け入れ方や心無い一言でひどく落ち込んだとしても、愛する者を喪って深い悲嘆に暮れたとしても、多くの方は機会や時間と共にこの辛い悲しみから回復して、いつもの生活をおくれるようになります。
それは、あなたを悲しませようと亡くなったのではないからです。
 
しかし、この深い悲しみにより極度の食欲不振や心身症になったりして、いつまでも深い悲しみを引きずってしまう方も大勢いると思われます。
このことをペットロス症候群とも言いますが、ペットロスについての社会の全体的認知とともに、愛する者を喪ったというペットロス経験を理解し、上手に受け入れることで心身ともに健康に立ち直ることができます。
悲しみから立ち直るまでの期間や症状は人それぞれで違いはありますが、重い症状が長期に渡り、日常生活に支障が及ぶようであれば、専門家の助けが必要となります。
 
心療内科にいって心身のバランスを整えるお薬を飲むことも助けになりますし、心理的背景が問題であればカウンセラーに相談することも助けになりますし、ペットロスカウンセラーという専門家とお話をすることで心を整えることも助けになりますし、僧侶などに供養をしてもらい命の話を聴くことも助けになりましょう。
 
とにかく、一人で考え込まないことです。
分かってくれそうな誰かに話してごらんなさい。
 
 
 
●ペットロスを迎えるにあたって
 
動物たちの地位向上により、病気や怪我などの時には動物病院で治療してもらうことが多くなっているので、検査や診断、治療や手術において十分な情報提供をしてくれる信頼できる獣医師を見つけることが重要になってきます。
 
いわゆる「掛かりつけの獣医さん」ですね。
掛かりつけの獣医さんを見つけて、定期健診をしてゆくなかで、先生にもうちの子を知ってもらい、飼い主と獣医師とが一緒になって、その子の幸せのために何ができるのかを考え相談できるような環境があるといいと思います。
 
皆さんのパートナーたちは、「どこが痛い」「どうして欲しい」と言う事を正確に伝えることができませんので、飼い主さんが代わって獣医師・看護士さんとお話をして、検査・診断・治療に関して、どのような判断がパートナーにとって良いことなのか考えて決めてあげて下さい。
そのためにも、少しでも不明な点が残らないように納得いくまで説明してもらいましょう。
聞きにくいことなどもあるでしょうが、私たちはパートナーに代わって説明を受ける権利を有しており、獣医師は十分な情報提供する義務を有しておりますので、料金などの点についてもちゃんと聞いて無理のない治療を選択することがいいと思います。
 
私たちはペットから命の全権を委任されている飼い主なのです。
うちの子の代わりに話をするのも、話を聞くのも、あなただけなのです。
 
そうなると、愛する者のために何でもしてあげたいし、何とかしたいし、とにかく長生きしてほしいものです。
そういう気持ちは当然でしょうが、私たちの気持ちだけではなく、本人の気持ちである幸せを考えてあげてくださいね。
 
相手の幸せを考えると、私たちが望むことと違うこともあり、辛く苦しい選択を強いられることもあります。
・病院において少しでも長生きするための延命治療を施してあげるのか
・病院において痛みを取除いてあげる治療をしてゆくのか
・自宅において治療をしてゆくのか
・残りの貴重な時をゆっくりとお家で一緒過ごすのか
・苦しみから解放してあげるために最終的な安楽死で楽にしてあげるのか
などの選択があり、どれがいいのか、何が正しいのか、選択と決断をしなければなりません。
何が正しいかは人ぞれそれです。
いずれの選択をしたとしても、大好きなあなたが選んでくれたことなら、どれも正しい選択となります。
その選択にある願いに応え、彼らは一生懸命に生きようとするでしょう。
あなたのためにも自分のためにもね。
 
だから、
「どうしてあげることが、パートナーにとって良いことなのか」
「どうしてあげることが、お互いの幸せのために良いことなのか」
を素直に話しかけてみてください。また自分に問いかけてみて下さい。
あなたは何をしてほしいのか知っているはずです。
いつもそうして暮らしてきたはずです。
頭で考えず、心でもって考えてください。
 
お互いに幸せになるための決断に迫られますが、そこに相手を思う想いがあれば、どんな結果になろうとも、それは正しい選択となるでしょう。
 
 
診断が出てから治療方針に関する情報提供(インフォームド・コンセント)がなされますが、「私たちとパートナーにとって何が良いことなのか」「どこまでの治療を望むのか」などを、愛する者の余生の幸せを考えて判断してあげてください。
また、診断や方針に対して思うことがあれば、他の獣医師のもとを訪れるセカンドオピニオン(複数の診断)をすることもいいでしょう。
 
この診断や治療方針と、自分の気持ち、相手の幸せに不一致があると、もしもの時に強く自分を責めたり、獣医さんを恨んだりし、深い罪悪感に駆られて、なかなかペットロスから立ち直ることができないケースがあります。
 
感情的にそうなることは当然のことでもありますので仕方ないことですが、これだけは知っておいて下さい。
自分を責め続けることも
他人を恨み続けることも
先立つ者は望んでいません。
 
あなたのことが大好きだから
あなたの幸せを願っています。
あなたのことが大好きだから
あなたの安らぎを想っています。
 
 
 
●ペットロス時の心身の変化について
 
 パートナーが亡くなった時に起こる心と体の変化について、一般的に述べますが心身の変化においては個人差がありそれぞれのケースがあります。悲しみの程度や継続期間、感情など様々で、自分らしく時を過ごすのが心身の健康にとって、ペットロスからの立ち直りにとって大切なことになってきます。
 それは必ずしも形式があるわけではないので、「自分だけおかしいのではないか?」と思わないで下さい。
 ペットロスを広義に言えば、パートナーが亡くなって悲しむのは当然のことで、程度差はあるもののみんなが通る道であり、その表れは人それぞれにあることを理解してください。
 
・身体的症状について
 
@.泣く
パートナーの死に対して様々な場面で泣きます。亡くなったとき、葬儀の際、思い出、写真、愛用品、話をするとき、他の子を見たとき、残された自分自身に対して、いろいろなことで泣くでしょうからその際は素直に泣きましょう。涙は心を洗い、深く清らかにして悲しみを癒してくれます。
 我慢せずに泣きましょう。
 素直に悲しみを表しましょう。
 
A.睡眠障害
 パートナーのことを思い出して眠れない、夢に現れて目が覚める、泣きながら寝てしまうこと、起きる気にならないことなどいろいろあります。いずれも時間と共に改善されてゆきます。
 体は必要なことを要求します。
 休養も必要なことです。
 
B.食欲不振・過食
 食事をする気になれない、食が進まない、食べないとダメ、それに伴う消化不良や胃痛など。
 食べれる物を食べましょう。
 食欲が無ければ無理せずに。
 
C.その他
 脱力感、めまい、胸の痛み、胃の痛み、疲れ、関節や筋肉のこり、などなど人それぞれありますので必ずしもすべての人が経験するとも限りませんし、それ以外にも経験することもあると思います。
 
 心身に変化があるのも愛していた証です。
 異常なことではありません。
 
*パートナーが亡くなれば程度の過少はあるものの起こりうることですが、あまりにも症状がひどく日常生活に支障をきたすようなら病院の先生やカウンセラーに相談することをお勧めします。
 
 
・精神的変化
 
@.孤独感、不安感
 自分一人が残されたような孤独感、自分を支えていた者を失った孤立感、よりどころを失った焦燥感や不安感、これからへの不安、他人には分かってもらえない寂しさなど、周囲の状況によって人それぞれの精神的変化が見受けられます。
 
A.後悔、恨み
 自分の責任で死なせてしまったという自責の念(もっと早く気づいていれば…、外に出さなければ…、生活環境や管理が悪かったのでは…etc)、亡くなってから悔やむ生前への思い(あの時そうしていれば…、もっと一緒にいてあげれば…、私なんかで幸せだったのか…etc)、獣医師や病院のスタッフ、用品メーカーへの怒り、家族や他人(動物)に対する恨みや責任転嫁などの自分の内と外に対しての攻撃的な感情が見受けられます。
 
B.活力低下
 パートナーが亡くなったことばかり考えて集中できない、ボーとしているなどの憂鬱感、絶望感からの感受性低下、駄目な人間であると考えてしまう自尊心の低下など、様々なことから色々な精神的活力の低下が見受けられます。
 
C.その他
 看病や病気の苦しみからの解放感、人に会いたくなく引き籠ったり、後を追おうと考えたり、魂や死後の世界について思いを馳せたり、人それぞれの思いから様々な変化や非日常的な精神的感覚を感じることだと思います。
 
*パートナーが亡くなれば、その思いから様々な精神的な変化が起こりますが、それが長期に渡り生活に支障をきたすようならば、カウンセラーに相談するのがいいと思います。
 ある精神科のデータによると立ち直りまで平均10ヶ月くらいかかるともされています。
 悲しいのはそれだけ愛していた証ですし、それだけの存在なのだから当然のことと思います。
 
 
●ペットロスから立ち直るプロセス
 
 パートナーが亡くなっても人間同様にその悲しみを理解してくれるほど、まだ社会は成熟していないようで、「たかがペットのことで…」「また飼えばいいじゃないの…」と言うように、亡くなった悲しみに人間も動物も違いがないことをなかなか分かってもらえません。
 マスコミでも取り上げ方に誤りが多く、皆さんの認識もズレがあります。
 また、分かってくれているようでも表面的なことも多く、この悲しみを経験したことのある人でないと十分に理解してもらえません。
 人間の場合には親族や友人などが集まり、故人を偲び、周囲から慰められ、悲しみを分かち合う葬儀という文化機能を有しておりますが、ペット(パートナー)のこととなると会社を休ませてくれるほど理解が得られないし、家族が集まるのも難しい状況で死を迎えなければなりません。
 パートナーの葬儀(火葬)をすることで「死」というものを正面から認識することができるかと思いますが、人間にもパートナーにも同様の愛情を抱いていたにもかかわらず、悲しみを分かち合う者が少ないので、そのぶん心理的な負担は大きく、むしろ人間よりパートナーの方が悲しみ深くなる場合が多くあります。
 それを社会的にはペットロス症候群などと称して特殊なケースのように思われがちですが、パートナーも家族の一員であり、愛情や悲しみに人間や動物の違いがないことを私たちが最も知っていることと思いますし、何よりその愛情を受けたパートナーの方が良く知っていると思います。
 決して異常なことではなく、正常なことだと思います。
 
 愛に属性の隔たりはなく、この悲しみも当然のことであることを知って下さい。
 この悲しみはいくつかの段階を経て徐々に回復していきますので、この感情のプロセスを知ることで一筋の道が見えてくればと思います。
 
第一段階:否定
 
 パートナーの死を現実のものとして受け入れることが、上手にペットロスを乗り越えるために必要になってくるのですが、「さっきまで生きていたのに…」「まさか、そんな…」と言うように、すぐには死を受け入れられないことでしょうね。
 また、「現実ではなく夢であって…」「生き返って…」と祈ったり、「もし生き返ってくれるなら〜します」と約束を条件に願ったりして現実を否定することもありますよ。
 死を素直に受け入れるのは難しいことで多少時間もかかるでしょうが、愛したパートナーの死そのものをも受け入れてあげることが"本当の愛情"なのではないでしょうか。
 生きているという条件付きの愛ではなく、あるがままを受け入れてあげる無条件の愛こそが本当の愛情なのではないでしょうか。
 
第二段階:後悔・怒り
 
 後悔の中でも多いのは罪悪感や自責の念で、パートナーが私たちの生活に依存し影響していることから、命を預かっていたから過去のことについていろいろと思い出し後悔して涙します。
 また、後悔の中に怒りを伴うこともあります。それは獣医師や病院スタッフに対して死の責任を問うことや、自分に対する怒りである罪悪感や、家族や他人に対して死の責任転嫁をして責めることもあります。また、神様など祈った相手に怒りを抱くこともあるでしょうね。
 いずれも愛情を抱いていた者が亡くなったからであり、その行為や状況に対して何らかのマイナスの感情を抱くこともありますが、愛の本質は"許すこと"にあるのですから自分や他人をあまり責めない方がいいと思います。
 後悔すべきことをは後悔をして反省し、責めるべきはきちんと償い懺悔する。それらをきちんと受け止めてあげることです。
 必要以上に自分や他人を責めてもパートナーは喜びませんからね。
 
第三段階:悲しみ
 
 感情の激流が穏やかになってくるこの段階が、悲しみと向き合わなければならない一番寂しい時でもあります。
 今まで一緒にいたのに亡くなってしまったパートナーの存在が、精神的に、空間的に、いかに大きな支えであったかを知り、空虚な感覚が増して寂しさや悲しみがいっそう深く感じるかと思います。この悲しい気持ちを素直に表現して、抑圧せずに十分に解放してあげることが大切で、パートナーのいない環境に適応して生活を再構築しなければなりません。
 この悲しみからの手助けとして、
・パートナーをちゃんと供養してあげること(葬儀・供養など)
・いっぱい泣いて悲しみを表すこと
・思い出してあげて語り掛けること
・家族や友人に思い出や悲しみを語ること
・思い出を綴ること(アルバムや手紙、日記やHP掲示板などへ)
・思い出の品を一時的に目の前から移動すること
・同じ悲しみを体験した人の話を見聞きすること
・同じ悲しみを分かち合える団体に参加すること
・体を動かして気持ちを発散させること
・新たなパートナーと出会うこと
・カウンセラーに相談してアドバイスを受けること
などが挙げられます。
 いずれの行為もパートナーがいなくなってしまった現実を徐々に受け入れることとなり、それに伴って徐々に心も癒されてゆきます。
 何が必要かは人それぞれです。
 
第四段階:回復
 
 忘れるという訳ではないのですが、時の経過とともに悲しみや苦しみが癒され、亡くなった時のことよりも楽しい頃の思い出が浮かんできます。そうなると、出会いによる悲しみよりも、出会いによる喜びに感謝できるようになってきます。
 そして、以前の私に戻るのではなく、私たちはより優しい人になれるのではないでしょうか。
 決して悲しみが消えたり、忘れたりするのではなく、その悲しみが心の背景になって、前面から背後に移動しただけで、時には前面に出てきて泣くこともあるでしょう。
 
 このような段階を順番通りに通過するだけではなく、前後したり逆になったりしながら徐々に心が整理されて、最後にはパートナーの死を穏やかなものにしてゆきます。
 悲しみが訪れるのは、それだけパートナーとの愛情があったからであり、幸せで楽しい時があったからで、出会いがあったからです。
 この出会いに感謝できるようになるまで、ゆっくりと時間をかけて悲しんであげることが大切です。
 そして、生前の喜びや優しさなどの愛情を、この悲しみ以下にしないためにも自分の心に向き合い悲しみを癒して下さい。
 
*ペットロスは人間だけのものでもありません。
 
複数飼育の場合においては、他の仲間にとっても悲しみがあります。
それは決して異常なことではありません。
仲間が亡くなった後に、他の子が元気がなくなったり、
体調を崩すことなどもありますので、
愛情でもって気おつけてあげて下さい。
 

ペット霊園様よりの抜粋です

BGMはよりお借りしています