徒然戯言

4月より新しいバージョンになりました

ダメな女とは、仲間を欲しがる女である。
(ダメな女、村上龍)

コメント

誤解のないように言うと、この本では、友達・仲間という言葉を自立し個性を認め合う「友達」と、群れ集まる「仲間」というニュアンスで使い分けているよう。

群れて、みんなに合わせることで安心感を感じられる仲間の中で生きていると、人は、きっと成長できない。

仮に、その中で、一人だけ成長しようとすると、出る杭は打たれる。それから離脱しようものなら、後々まで「仲間はずれ」になる。

「仲間はずれ」になってでも、自分が貫きたい道なんて、なかなか見つからなかったりするものだから、人は、やっぱり、仲間でいる
安心感に身をゆだねたりする。

ダメな女、ダメな男…

「仲間がいたから、ここまで頑張れた。」これは悪くないけれど、

もし、「仲間がいないと、何もできない。」という依存心の方が強いとすれば、
「仲間がいるから、何もできない。 仲間がいるから、やらせられる。」
いつか、仲間に縛られることになる。

人は成長を重ねれば、きっと友達も仲間も変わっていく。変わっていくのが当たり前、そう思っていないと、ダメになってしまう。

仲間を欲しがる理由は何?友達を欲しがる理由は何?

考えちゃいますね。



世の中には、
二種類の人間がいるんです。
出来ない理由を探す人と
出来る方法を探す人。


(石田純一)


皆様も御覧になった事がおありかと思いますが ビューティーコロシアムでの石田純一さんの辛口発言です

誰でも失敗した事は多々あるでしょう。そこで挫折してしまう人間が前者の「出来ない理由を探す人」で 失敗したら 今度はこうしてみようとか あそこがいけなかったんだろうか?とか考えられる人は後者の「出来る方法を探す人」です

私の人生の師匠(自分で勝手に思ってるだけですが)の故 松下幸之助さんの話ですが
幸之助さんが雑誌記者にインタビューされた時に「私は失敗をした事が無い」とおっしゃったそうです
いくら師匠でもそれは無いんじゃないかと私も思いましたが この話には続きがあって

「失敗を失敗のまま置いておくから失敗なんであって そこから新しい方法を見つけたら それはもう失敗じゃない」と

さすが師匠!

運命のなかには偶然はない。
  人間はある運命に出会う以前に、自分がそれをつくっているのだ

                                    
                       -- T・W・ウィリソン --
(愛読の無料メールマガジン「癒しの言葉」より)

仕事や勉強で壁にぶつかったときは、実は大きな成長のチャンスのようです。

 つまり、今までのやり方でうまくいかなかったのですから、ちょっと考え方や視点を変えてみて、自分の幅を広げてみろということですね。

 でも、何か最近は、ちょっと壁にぶつかるともうだめだとあきらめてしまう人が多いような気がします。

 コロンブスの卵の話は、有名ですからご存じの人も多いと思いますが・・・

 アメリカ大陸を発見して帰ってきたコロンブスに、本国の人は盛大な歓迎会 を開いてくれました。

 ところが、ある男が、コロンブスをこう皮肉ったのです。

 「西へ西へ行けばいつかは行き着くのだから、アメリカ大陸なんて誰でも発見出来るさ。大騒ぎすることもないじゃないか」

 すると、コロンブスは、テーブルの上にあった卵を指さし、 「あなたにはこの卵を立てることができますか?」 とその男に聞きました。
 
 男は、卵を立てようとしましたが、ころころころがって、どうしても立てる ことができません。
 
 コロンブスは、卵の端っこを叩きつぶして平らにし、立てて見せました。
 
男が、そんなやり方なら誰でも立てることができるじゃないかと不服そうに言うと、コロンブスは、こう答えました。
 
 「君はいつも人がうまくやったのを見て、誰だってやれると言うが、こんな 簡単なことさえ、出来なかったではないか」
 
すると男は、さすがにいたたまれなくなって、こそこそとその場を立ち去っ たそうです。

 この男が、卵をうまく立てられなかったのは、きっと卵は、ころころしていて立つはずがないという思い込みがあったのでしょう。

 コロンブスには、どんな困難なことでも、出来ないことはないのだという柔軟な考え方があったようです。

 どうやら、壁というのは、自分の中にあるもののようですね。

 壁にぶつかって、どうしようもないと思ったとき、あきらめる前にもう少し 何かうまい方法はないか、考えてみてください。

 今までの自分を脱皮する、いいチャンスです。

 あの皮肉男のように、できっこないとあきらめるのは簡単ですが……
 
 コロンブスの卵は、いつもどんな所にもころがっているのです


ここからは私個人の考え方ですが

今 貴方の目の前にコップが置かれています

コップの中には水が半分程入っています

貴方はそのコップを見て どう思いますか?

と言う 心理テストだったか 何だったかは忘れましたが・・・・

色々な答えがあると思いますが

圧倒的に多かったのが

「もう 水が半分しか入っていない」と「まだ 水が半分もある」でした

正確に言えば「もう 水が半分しか入っていない」と言う答えの方が圧倒的に多かったのですが

私は「まだ 水が半分もある」でした

何故 今 こんな事を言うかというと 今月 私は誕生日を迎えます(あえて 何回目かは言いいませんが・・・)

もう ○○歳 じゃなく まだ ○○歳と言いたいので

たぶん 90歳になっても そう言うと思います(90歳までは当分ありますが)