零君へ
 
貴方が家にやってきたのは2006年5月の初めでしたね。 スポーツクラブでお友達とお茶してる時 子猫の鳴き声が聞こえたけど 私も、友達

も有線かと思ってました。 でも どう聞いていても子猫の鳴き声に聞こえるのでフロントに行ってみたら 零君と 兄弟が居ました

どう見ても生後1週間位で空腹の為か 不安の為か泣き叫んでいましたね。

 私が貴方を抱き上げると 必死になって私の服を這い上がって来ましたね。

家にはレイ君が居るから連れて帰ってはあげれないと思いながら 貴方の声に負けてしまい 私が連れ帰ることになりましたね。

貴方は まだ 離乳がすんでなかったので 私は暫く仕事を休んで2時間おきにミルクを飲ませました。ミルクを飲んだ後は背中を叩いてゲップさ

せてましたね。

 そんな貴方もすくすく大きくなって 普通のご飯も食べられるようになり レイ君とよく遊んでましたね。  私は猫が2匹居る生活もなかなか悪い

物じゃないなと思いました。

 生後 3ヶ月頃から 貴方はトイレに行くときにふらついたり 何度か転んだりしましたね。私は貴方がまだ小さいから上手に歩けないんだろうと

思っていました。

でも あまりに転ぶので 病院に行ったところ 生まれた時の後遺症か 出産による後遺症で 小脳に異常がある事がわかりました。

正直 私はショックでしたが セカンドオピニオンで 違う病院にも行きましたね。 しかし 診断は同じでした。

 セカンドオピニオンで行った病院は とてもいい先生で 色々と調べてくれましたね。結果 貴方は 白血球の数の異常と 慢性腎炎だという事

がわかりました。

それでも ネットで調べた結果 成長すれば なおる事もあると言う一筋の願いにかけていました

 小脳の異常で貴方は歩けなくなりました。私に抱かれてる時と 眠ってる時は静かでしたが・・・・

 2007年5月22日に 左の頬の下に膿膀が出来て 病院に行った時 「脱水症状が起きてますね」と言われ それに気付かなかった私も悲しい

ですが 脱水の症状の治療の為 点滴をした貴方は もっと悲しそうでした。 白血球の異常の為 自然治癒する化膿も なかなか治りませんで

したね。

 それから3日間 点滴に通いましたね。 貴方にとっては辛い時間だったでしょう。 でも 慢性腎炎の悪化により 点滴が全て尿で流れてしまい

ましたね。4日目は病院が休みなので 1日様子を見ましょうという事でしたが 結局 病院に行きましたね。

普段なら 点滴で1日は持つのに その日は 点滴をしてもぐったりしていましたね。 その日は仕事を休むつもりでしたが どうしても行かなけ

ればならなくて 9時から11時頃まで留守しましたね。 

 急いで帰ると 貴方はベッドの上で目を覚ましてましたね。普段なら目を覚ませばベッドから這い出してくるのに その日はベッドに居ましたね。

それだけ 体力の限界だったんでしょう。

それでも 私が帰ってくるまではと 必死の思いで頑張ってくれてたんでしょう

 家に帰ったら私はすぐに貴方を抱き上げました。 数分後 軽く身震いをして おしっこをして それから スローモーションの様に目を閉じましたね。

そう思うのは私だけだとわかっていますが 本当に私にはコマ送りのように感じました。

 私の慟哭でお腹が上下してるように見えました。もしかしたら まだ 呼吸してるんじゃと思いましたが・・・・

私も昔から色んな動物を飼ってきましたが 死に目に会うのは初めてでした。私の腕の中で 本当に眠るように逝ったね 零

その表情は 今にも目を開けて あくびをしそうでした

 わかっていたけど 眠ってるだけだと自分に言い聞かせ いつものように腕枕しましたね。 朝になれば目を覚ますんだと言い聞かせながら

次の日の朝 貴方は まるで生きてるように柔らかく 毛で覆われてるせいか 暖かく感じました・・・・  ペット火葬場に電話をして連れにに

来て貰いましたが もしかしたら 息を吹き返したって電話があるんじゃないかと思ってました

 お迎えに行った時は 小さな壷に入ってましたね。 初めて 現実を把握しました。 家に帰ったとき「家に帰ってきたよ もう痛い思いしなくてい

いんだからね」と言いながら 泣き崩れました。

偶然かもしれませんが 貴方の初七日の日に 「虹の橋」と言う物を見つけました。

 貴方は虹の橋の袂で 私が来るのを待っててくれるんですね。 明日になるか 数十年後になるかはわかりませんが 待っていてね。

 今日 分骨ペンダントと骨壷袋を注文しました。 貴方の遺骨を入れていつも一緒に居たいから。

1年間だけど 貴方が居てくれて 私は幸せでした。もう一度 貴方に会うときまでに 貴方に恥かしくないような生き方をします。

さようなら 零  有り難う 零  大好きだよ 零

 お母さんは今日を限りに泣かないように努力するけど 泣くかもしれません・・・・

私なりに頑張るからね 今日はずっと一緒にいようね



6月2日(日)


今日 朝目が覚めたら貴方の泡シャンプーの香りがしました。

ああ 帰って来てくれたんだね きっと 「僕の事でいつまでも悲しまないで 僕は虹の橋の袂で待ってるから 虹の橋を知らない人にも早く教え

てあげて」って言いに来てくれたんだね 

いつまで経ってもアップしない私を叱りに来てくれたんだね・・・・


6月6日(水)


今日はレイ兄ちゃんの健康診断とワクチン接種に行ってきました。

まだ あの子はあそこに居ました。 兄ちゃんの去勢が終わってもあそこに居たら考えようかと思いました



6月9日(土)


貴方が逝ってもう 2週間が過ぎました。今までの人生でこんなに時間が早く過ぎた事はありません。そして 毎日泣くなんて事も。

お母さん 何かしてないと壊れてしまいそうなので 必死でお仕事してます。皮肉な事に悲しみを押さえて笑顔を作ると評判がいいんです。

零君の事は一部の人しか知らないから 皆 不思議そうです。でも お仕事無くなってもいいから もう一度貴方に逢いたい・・・・



6月10日(日)


貴方が逝ってから初めて「ポチタマ」を見ました やっぱり泣いてしまいました


6月14日(木)

明日で貴方が逝ってから3週間経ちます。

貴方は居ないのに 当たり前に時が過ぎるのが 自分なりに腹立たしく思えます。

昨日 貴方の夢を見ました。何故だかわからないけど ロシアンブルーやスコティッシュフィールドやサクラちゃんが 一緒でした。

アレは貴方が虹の橋の袂で元気にしてるよってサインだったのでしょうか?



6月15日(金)


零君 お母さんね 毎日とても規則正しい生活を送るようになりました。(私なりにだけど)

何故かって言うとね 帰ってきてもすぐにお化粧落とせるでしょ だから寝るのも早いし 朝も起きてからする事が無いから そのままクラブに行

ってます

でもね 帰ったらすぐに貴方を抱っこして 貴方が眠るまで着替えもせずにいたあの頃 起きても 貴方にご飯を食べさせて 貴方が眠ってから

急いでクラブに行って 急いで帰ってきてたあの日々

窮屈で自由が無かったあの日々に戻りたいです

お母さん 泣かないように努力するって言ったけど 当分 約束は守れそうにありません ごめんね 零



6月18日(月)

今日はお母さんの病院に行ってきました 先生に零君の事を話して 楽になれる薬を貰うつもりでしたが 辞めました

この 虚脱感は零君が居ないせいだから 無理にこの辛さを押さえ込むのは違うんじゃないかと思ったからです

お母さんの座右の銘「通亦楽 窮益楽」 この状態が窮なのかどうかはわかりませんが・・・・

自然に貴方が思い出に変わる日まで この虚脱感と付き合っていこうと思います


零君Memorialへ零君への手紙2


BGMは様からお借りしています